世界一の面倒くさがりママの子育て記録

ずぼらでごめんなさい!のんびり屋でごめんなさい!世話好きじゃなくてごめんなさい!けど毎日家族で楽しく暮らしています。

念願の2人目の赤ちゃんができるまで

「多嚢胞性卵巣症候群」の私が、

妊娠するまでの話です。

 

 

私は、周りの友達より初潮が遅く、

大人になっても生理に周期なんてありませんでした。

 

毎月の生理の日なんて意識したこともなく、

「あ、久しぶりに来た」

くらいの感覚でした。

2,3ヶ月空くのなんて普通で、

7ヶ月振りなんてこともありました。

 

親や友達がなんだか妙に心配し

病院に行けと言うのですが、

膣の中に器具を入れられるという検査が怖く、

渋って渋って27歳くらいのときに

初めて婦人科にかかりました。

 

検査結果は

「多嚢胞性卵巣症候群」でした。

 

お医者さんは

「病気じゃなくて体質。今子ども欲しい?

急ぎじゃないなら放っておいて、

いざ欲しくなったら注射打てばいい。」

ということを言われました。

 

小さい頃から保育士さんになりたかったほど

小さい子どもは大好きなのですが、

出産が怖いのと、自分の夢を追いかけたいのとで、

子どもを産みたいとは思っていませんでしたので、

あまり重く考えていませんでした。

 

 

その後、28で結婚し、

5ヶ月後に妊娠が発覚。

夫と「なかなかできないもんだねー」と

話した矢先の出来事でした。

 

「私でも妊娠できるんだ!」と思った時、

内心諦めていたことを初めて自覚しました。

 

このときはまだ、

周りが見えてなかったのですが、

私の周囲には不妊で悩んでいる人が

何人かいました。

 

その辛さなんてこれっぽっちも

分かっていなかったのが正直なところで、

自分の妊娠の報告を何も気遣いなくしていました。

 

出産後、私は二人目を望みましたが、

いろいろあって本格的な子作りスタートは

一人目の子が2歳になってからでした。

 

しかし、なかなか出来ないのです。

 

一人目が何も考えず授かることができたので、

二人目もすぐだとタカをくくっていました。

半年経ったとき、

「二人目不妊」という言葉を知りました。

 

これから不妊治療を始めなければならないんだ。

 

そう考えた時、

不妊治療の辛さを周りから聞いていた私は

怖くて怖くて仕方がなくなりました。

 

どうしてみんな耐えられるのかと

自分が情けなく深く落ち込みました。

 

「子どもが出来ない」と口に出すのも

勇気がいりました。

認めてはいけないような気がしたのです。

 

夫に話すのは最後にしようと思いました。

夫婦の営みが作業化するのは、

極力避けたいという思いがあったからです。

 

不妊を克服した友達、

心配している親や親戚…と

少しずつ話していく中で、

私を一番勇気付けてくれたのは、

母の言葉でした。

 

不妊治療のことを考えただけで

気分が落ち込むということは、

あんたのやるべきことではないって

意味なんじゃない?」

 

私はその言葉を聞いて、

目の前がパァッと明るくなるのを感じました。

治療のことを考えて前向きな気持ちになって

初めて、病院に行こう。

 

 

それから決めたのは、

「私が楽しくできることをしよう!」

でした。

 

 

私がしたことは、

パワーストーンを持つこと

②「木村さん」をiPhoneの待ち受けにすること

基礎体温を測ること

④今ある幸せを心から喜び楽しむこと

⑤友達の妊娠を、自分の不妊と結びつけず、

心から祝福すること

 

です。

パワーストーンはなんとなく持ちたいなと

思い、専門のお店で

受胎にいいと言われる石一つと

ほか気になる石二つを買っていつも触るように

しました。

 

触り心地もよかったので、

不思議と心が落ち着くのを感じました。

 

②「木村さん」とは、ネットで話題になっていた子授けのお守り画像です。

ジンクスにあやかろうと、

これをただ待ち受けにしました。

 

基礎体温は、以前測ろうと試みましたが

測っているうちに寝てしまって全くアテに

ならなかったことでやめていたのですが、

今回は本気で再開することにしました。

 

④子どもが一人いるからいい、

ではありません。

兄弟を作ってあげたいと思うと、

今度は私たち夫婦だけの問題では

なくなるのです。

ですが、夫がいて、息子がいて、

仲良く幸せに生きていることは

充分にありがたいのだと知ることを

意識しました。

 

イライラしてるお母さんのとこになんて、

赤ちゃんは来てくれないよね、と。

 

⑤完璧にはできませんでしたが、できる限り

「なんで私にできないのにあの人は出来たんだ」と妬まないように努めました。

命の誕生は素晴らしいのに、

自分の事情で喜べないのは自分が辛いです。

 

それから、

スピリチュアルな本に書いてあったのですが、

望んでいることを近くの人が達成したとき、

自分が達成する順番が近づいている

というので、

妊娠した人との関係が近ければ近いほど

「いよいよ私の番かも!」と

喜ぶようにしました。

 

 

 

それから2ヶ月後、

なんと二人目の子を授かることができました。

嬉しくて涙が出たのは久し振りです。

 

不妊というには短い期間だったのかも

しれませんが、

この期間で大切なことを学びました。

 

子を授かるに向けて頑張っている方々の

気持ちがこんなにも辛いのかと。

生理を「リセット」と呼び、

来るたびにこんなにも憎くなるのかと。

期間が長くなればなるほど辛さは増して

しまいます。

努力すればするほど、

ダメだったときの辛さは大きくなっても

仕方がないのです。

 

かつての私は無神経すぎました。

悔しくて、申し訳なくて、情けないです。

 

 

それから、育児は大変なこともありますが、

やはり授かれたというのは

本当に本当に有難いことで、

それを忘れてはいけないと再確認できました。

今いる子どもにも、

ただいてくれるだけで感謝できるように

なりました。

 

 

知り合いからよく聞く話で、

不妊治療に通い続けてもうまくいかず、

一旦やめようと、治療から離れ

忘れた頃に授かったといいます。

 

理由は分かりませんが、それを参考に

「いずれ来てくれるさ!来てくれないならそれでも私が幸せなことに変わりない!」

くらいに思うことにしました。

 

「多嚢胞性卵巣症候群」でも、

妊娠できるなんて考えてみたら

奇跡的だなと思いますが、

私と同じように診断された方が

少しでも安心してくれたら幸いです。f:id:hitoyane_un:20160620200544j:image